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大阪地方裁判所 昭和56年(ワ)821号 判決 1982年11月01日

原告 森本茂

右法定代理人親権者父 森本美津夫

同母 森本光代

右訴訟代理人弁護士 大西佑二

被告 藤澤正之

被告 中江四郎

右両名訴訟代理人弁護士 米田泰邦

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金四一二万五五〇九円及びこれに対する昭和五〇年一月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告及び被告両名相互の関係

(一) 原告は、昭和四九年一二月二七日、当時満二歳七箇月の幼児であったところ、ブランコから転落して負傷(右上腕骨顆上骨折)し、即日母の森本光代(以下「光代」という。)に連れられて摂津市千里丘一丁目一一―三一の千里丘中央病院に赴いた。

(二) 被告藤澤正之(以下「被告藤澤」という。)は、同病院の開設者であり、右同日原告法定代理人光代との間で原告法定代理人両名の名義で原告の右負傷につき診療契約を締結した。

(三) 被告中江四郎(以下「被告中江」という。)は、右当時同病院に勤務する医師であったが、被告藤澤の被用者として、原告と同被告間の右診療契約に基づき、右同日と昭和五〇年一月一三日の二回にわたり、原告の診察・治療を担当した。

2  被告中江の診療行為とその過失及び不完全履行

(一) 被告中江は、原告に対し、昭和四九年一二月二七日(以下「初診時」という。)、右肘部をレントゲン撮影して骨折を確認した後骨折箇所をギプスで固定して治療し、一七日後の昭和五〇年一月一三日(以下「再診時」という。)、右ギプスを取り外し、再びレントゲン撮影して骨折箇所を診察したのみであった。そして、原告の右肘部に内反肘の変形(以下「本件内反肘」という。)を残した。

(二) 本件内反肘は、被告中江の瑕疵ある診療行為に起因するものである。すなわち、被告中江は、医師として若しくは前記被告藤澤の診療契約上の債務の履行補助者として原告を診療するにあたり、当時の医療水準に基づき適正な医学的処置を加えて原告の骨をもとどおり癒合させ右腕の運動機能を回復させるに必要な注意義務、敷衍すれば、診療に際して、(1)骨折の部位や状態(転位((骨の位置移動))の程度など)をよく確認したうえ、(2)上下の骨片を十分に牽引するなどして正しく整復・固定し、(3)かつその後もレントゲン撮影を行い既存の又は後発した転位の有無を十分検査確認して適切な措置をとるべき注意義務があるのに、まず(1)を怠って骨折部の転位を看過し、(2)の処置をなさず転位を残したままギプス固定をして癒合させたために本件内反肘を生ぜしめ、その後もギプスを取り外しただけで(3)の確認をせず骨折箇所に転位を残しているのを看過し、これに対する適切な措置もとらず本件内反肘をそのまま放置して現在に至らしめた。

(三) 原告の本件内反肘の態様

(1) 光代はギプスが取り外された際本件内反肘につき長期間のギプス固定が原因であろうと考えそのまま様子をみていたが、その後も右腕の曲りが治らないので、昭和五〇年六月ころ吹田市所在の済生会病院、昭和五一年二月三日千里丘中央病院においてそれぞれ原告を受診させ、その後大阪大学医学部附属病院整形外科を始め二、三の医療機関でも受診したものの、いずれも治療不能との旨の診断であった。

(2) 原告は現在も本件内反肘が残存し、その変形による精神的苦痛はもちろん、勉学、運動及び将来の労働に多大の不自由をきたすなど肘関節の機能に障害を残している。

3  損害  合計金四一二万五五〇九円

(一) 逸失利益 金二六二万五五〇九円

原告は本件症状が固定したとみられる再診時に満二歳であり、その就労可能年数四九年に対する新ホフマン係数は一七・〇二四である。そして、昭和五〇年当時の男子一八歳の平均月収は金九万一八〇〇円であるところ、原告の本件内反肘による運動機能障害は自動車損害賠償保障法施行令別表の後遺障害等級第一二級に該当し、その労働能力喪失率は一四パーセントであるから、以上によって逸失利益を計算すると金二六二万五五〇九円となる。

(91,800×12×0.14×17.024≒2,625,509)

(二) 慰藉料      金一五〇万円

前記2(三)の本件内反肘に基づく原告の精神的苦痛を慰藉すべき金額としては、金一五〇万円が相当である。

4  よって、原告は被告らに対し、被告藤澤については不法行為(使用者責任)若しくは債務不履行(履行補助者による不完全履行)に基づき、被告中江については不法行為に基づき、各自右損害金四一二万五五〇九円及びこれに対する再診時経過後である昭和五〇年一月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否と主張

1  請求原因1の事実は全部認める。

2  請求原因2の事実について

(一)は認める。

(二)は否認する。被告中江は初診時にレントゲン撮影を行って原告の骨折の状態を確認したうえ、右確認した骨折部が幼弱な骨端部に当っている点や原告の年齢に照らすと観血手術や徒手整復を施したのでは新たな障害を惹起したり後遺症を残したりしかねない点を考え、たんにギプスで固定する方法を採用したものであり、しかも後発を予想される腫脹に対してもその予防として十分な有褥のギプス包帯を実施したのであって、かかる処置に対しとりたてて攻撃されるべきものはない。また被告中江は再診時にもレントゲン撮影を行って、骨折箇所の仮骨形成が十二分であり骨癒合も良好であることを確認している。一般に小児の上腕骨顆上骨折で内反肘の発生率は約五〇パーセントにも達するが、被告中江の行った治療は、後遺症として最も恐しいフォルクマン阻血性拘縮を併発させず、神経障害もなく、肘関節の機能障害も全く残さず、僅少な外見上の変形(内反肘)だけを残したということで、やむを得ない成績であったと評価できるものである。また、本件内反肘の原因としては、骨折箇所が骨端線に近く、かつ原告が幼少で骨の成長が旺盛であったため、骨が内側と外側とで不均衡に成長した可能性も考えられる。

(三)(1)のうちギプスを取り外した際に本件内反肘が発生していたことを否認し、主張のころに原告がそれぞれ千里丘中央病院及び大阪大学医学部附属病院整形外科で受診したことを認め、その余は知らない。

(三)(2)は現在本件内反肘が認められることは認めるが、その余は否認する。原告に認められる内反肘は僅少なもので、労働基準法施行規則別表第二の身体障害等級の最低にも達せず、全体として現在も手術的治療の必要はなく、日常の運動機能の障害も全くないものである。

3  請求原因3の損害額は否認する。

4  請求原因4は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで請求原因2の事実について判断する。

1  被告中江による診療の経過と結果及びその原因

(一)  請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実、《証拠省略》を総合すれば、被告中江は、初診時に、ブランコから落ちて右肘が痛いという原告の訴えを聴いて掌側正面と側面との二方向から右肘部のレントゲン写真を撮影し、上腕骨上顆部にひびが入っているのを確認して原告の負傷を右上腕骨顆上骨折と診断したこと、右レントゲン写真により確認した骨折の状態から、牽引して整復する必要はないと判断し、治療としてはたんにそのままギプスで固定する処置を施し、原告を連れて来た光代に対し二、三週間後に再度来院するよう指示したこと、再診時に、ギプスを取り外して前回同様にレントゲン写真を撮影し、骨折箇所の癒合の具合を確認したこと、その結果ギプスによる固定をやめても持ちこたえるだけの強さはあると判断し、それ以上の処置を施さず、光代に対しても格別の指示を与えなかったこと、光代はギプスを取り外された原告の右腕を見て肘のところで内側に反っていると感じたものの、そのことにつき被告中江に何ら説明を求めなかったこと、その後原告は被告中江の診療を受けていないこと、以上の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

(二)  以上の被告中江の診療行為の後現に原告に本件内反肘を残していることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すれば、原告の本件内反肘の程度は、これを昭和五六年八月二六日の鑑定時点においてみると、レントゲン写真及び普通写真による肘角の測定値が左腕はマイナス二度(二度の外反)、右腕はプラス一〇度(一〇度の内反)と求められ、成人男子の肘角が平均六・五度ないし八・五度の外反をなすものであることと対照しても、比較的僅少なものと評価できるほか、内反肘そのものによる機能障害は、原告の場合骨折部における上腕骨長軸に関するねじれ的歪みはほとんどないので左右全く同様に両手を口もとに運ぶことができ、また肘の伸展・屈曲、前腕の回内・回外も左右全く差がなく正常に動作でき、一般に上腕骨顆上骨折後の機能障害として最も恐しいフォルクマン阻血性拘縮はもとより神経障害の症状も皆無で、肘を中心とする右上肢の機能障害は全くなく、日常生活に何ら支障がないと評価できるものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  次に本件内反肘の原因について考えてみるに、《証拠省略》、後記2(二)に示すとおり初診時に本件転位が存在していたと認められること、及び前示1(一)に認定のとおり光代が再診時に原告の右腕に内反があると感じたことを総合すれば、本件内反肘は、右上腕骨の方が左に比して外側上顆部がやや大きく上顆部の横径も僅かに広いことが原因であり、これが発生したのは、骨折により骨端線が侵された結果骨の成長の度合が違って来たためというより、被告中江が治療にあたり何ら整復をなさず当初から存した僅かな後記本件転位をそのままにしてギプスで固定し、骨を癒合させてしまったためであると推認でき(る)。《証拠判断省略》

2  被告中江の診療行為の瑕疵の存否

(一)  以上のとおり原告には不幸にして本件内反肘の結果が生じているが、そもそも診療契約は治癒という満足のできる結果を常に約束するものではなく、当該傷病に対し善管注意義務に従い当時の医療水準上適正なる医学的処置を加えることを内容とするものであるから、右医学的処置自体に瑕疵(不手際)がない限り結果の如何から直ちに契約上若しくは不法行為上の注意義務違反が問われるものではない。そこで以下原告主張にかかる被告中江の本件診療過程における瑕疵(注意義務違反)の存否につき検討する。

(二)  まず、原告は、被告中江が初診時に原告の骨折の状態の十分な確認を怠って転位を看過した旨主張する。なるほど、《証拠省略》によれば、被告中江は、初診時に撮影したレントゲン写真を見て、原告の骨折は完全に折れて骨片が離れてしまっていたりひびが骨を全部貫通している骨折ではなく、ところどころにひびが入っている程度の骨折であって転位はないと認めたと述べているのに対し、《証拠省略》を総合すれば、初診時における原告の骨折の状態は、亀裂状の骨折線がほぼ水平方向に走っているものの骨を貫通してはおらず、肉眼的に骨離断もわからず、ひびが入っている程度のものであるとともに、骨折片の一部分が極めて僅少の転位(上腕骨上顆部の尺骨側へのずれ。以下「本件転位」という。)を生じていると認めることができる。しかしながら、右の転位の存在は《証拠省略》に記載されているスケッチをも参考にして初めて認められる程度の僅少なものであることが《証拠省略》によって明らかであるところ、右スケッチは被告中江自身がレントゲン写真を見て書き留めたものであり、いわば被告中江の認識の内容を示しているものであることや、被告中江本人の供述によれば同被告のいう転位とは骨折片が分離した場合をさしていることが明らかなことをも併せ考えると、前示被告中江本人の供述は転位という言葉の意味のとらえ方が相違していることによるのであり、右証拠の同被告の微細なスケッチに照らせば、被告中江はむしろ骨折の状態を注意深く観察し正確に認識していたものと認めることができ、前示被告中江本人の供述から直ちに同被告が本件転位自体を看過していたことないしは骨折部の十分な確認義務を怠ったことを推認することはできず、他に原告の右主張事実を認定するに足りる証拠もない。

(三)  次に、原告は、被告中江が上下の骨片を十分に牽引するなどして正しく整復・固定すべきであったにもかかわらず、何ら整復措置を行わず転位を残したままたんにギプス固定を施す治療方法をとったのは不適切であった旨主張する。初診時における原告の骨折の状態及び被告中江がこれを正しく認識していたことは前項で述べたとおりであるから、ここで問題となるのは、本件転位が存する初診時の骨折の状態を基礎として、牽引などの整復措置を行うことなくたんにそのままギプスで固定する治療方法をとった被告中江の処置につき当時の医療水準上注意義務違反があったか否かであるので以下検討する。

(イ) まず、本件骨折である上腕骨顆上骨折の医学的知見につき、《証拠省略》を総合すれば、次のとおり認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1) 上腕骨顆上骨折というのは上腕骨顆部と骨幹の境から顆部にかけて内外に貫通する骨折であるが、小児に多くみられ、骨折線は単純なものから複雑なものまで多様であり、しばしば神経麻痺(橈骨神経や正中神経の損傷)や循環障害(最も警戒を要するのは血行不全により前腕屈筋群の強い拘縮と手指の変化とを生ずるフォルクマン阻血性拘縮である。)などの重篤な合併症を伴い、機能障害(肘関節の運動範囲の減少)や変形治癒(内反肘や外反肘)を残すことが多いので治療学上重要視されるものである。そして、右のうち一般に小児の本骨折の後遺症として最も多いのは変形治癒で、しかもそのほとんどは内反肘であるので、本骨折の治療の目標は変形なく治癒せしめることが中心となるところ、この目的を果たすには完全に整復することと骨癒合が完成するまでの比較的短期間確実に固定することが重要であるとされながら、実際には内反肘は不完全な整復のほか骨折箇所が骨端線(骨の成長する部分)に当り骨発育線が障害されて骨の成長の度合が違って来る結果によっても発生するものであり、非常に高い頻度で発生する(発生率は大体五〇パーセント前後)から、ある程度はやむをえないものであるともされている。

(2) 治療方法としては、一般にレントゲン線検査(通常掌側正面と側面との二方向から撮影する。)が不可欠であり、転位状況により治療方法も異なるので骨折の方向や転位の程度の判断には注意深さが要求され、整復法・固定法としては、保存的(非観血的)療法である徒手整復法や牽引法(ともに牽引動作を伴うが、前者では術者がその両手を用い一時的な動作で転位を整復するのに対し、後者では錘などの機械的牽引力を持続的に加えることにより時間をかけて整復する。)と観血的療法とがあげられるところ、肘関節の骨折の場合には前示神経障害、循環障害や機能障害を惹起しやすいことから、観血的療法は保存的療法では十分に整復できない場合とか整復時機を失してしまった場合とかに用いられ、骨折後まもない時期であれば保存的療法によるのが本骨折治療の原則であるが、このうち牽引法は一般に転位が強く徒手整復が困難であったり骨片の保持ができず固定性の悪い場合に用いられ、他方徒手整復法には不用の出血や、血管・神経などの組織を破壊するおそれがあるとの欠点があり、転位がない場合には何ら整復をなさずたんに患部をギプスで固定する方法がとられるとされている。

(ロ) そこでこれを本件についてみるに、右認定事実と前掲各証拠とを総合すれば、原告の場合、まず二歳七箇月という年齢に照らし観血的療法や徒手整復法を用いることは前示副損傷を起こすおそれがあって適切ではなく、これに対し牽引法は原告の年齢でも適応するが、入院が必要であるうえ、前示本件転位の程度及びこの方法によっても結果として確実に内反肘を防げるとは到底いえないことに照らし必ずしも不可欠の方法とはなしえず、結局本件転位程度の骨折であればたんなる固定にとどめるのが当時の臨床医の水準的治療方法の範囲内の処置であること、他方原告の骨折箇所は骨端線に近く幼少時においては成長の旺盛な部分であるからその後の骨の成長による自然の矯正も期待できる側面があること、がそれぞれ認められ、右認定を覆すに足りる証拠もなく、以上の事実関係及び他に本件転位の治療方法につき特段の事実も認められないことに徴すると、初診時において当時の臨床医の医療水準上被告中江に徒手整復法又は牽引法をとるべき注意義務があるとは到底いえず、また、同被告がたんにギプス固定を施す治療方法を採用したことをもって当時の医療水準上の注意義務に反した不適切な処置であったということはできない。

(四)  更に、原告は、被告中江は再診時にも骨折箇所に転位を残しているのを看過し、事後の処置にも注意義務違反があった旨主張する。しかし、《証拠省略》によれば、再診時までに新たな転位は生じていなかったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠もない。そして、《証拠省略》によれば、被告中江は再診時に撮影したレントゲン写真により原告の骨折箇所は仮骨の形成が非常に良好であると認めギプスによる固定をやめてもよいと判断したためその後特別の治療行為を施さなかったことが認められるところ、《証拠省略》によれば、再診時における原告の骨折の状態は、骨折線はまだ残っており全体として初診時の状態と大差ないが、仮骨形成による修復が行われていることが認められ、かつ、初診時から存していた本件転位に対し再診時に至って特別の処置を施すべき当時の医療水準上の注意義務を認めるに足りる事実も証拠上認められないのであるから、初診時からの本件転位をそのままにして再診時に特別の治療を施さなかった前示被告中江の行為につき注意義務違反があるとはいえないというべきである。

(五)  してみると、被告中江の本件診療過程には、原告が主張するいずれの瑕疵(注意義務違反)も認めることができず、したがって、同被告が医師として過失ある診療行為をなし若しくは被告藤澤の診療契約上の債務の履行補助者として不完全な履行をなした旨の原告の主張はいずれも理由がない。

三  結論

以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく原告の本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、民訴法八九条に従い主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 杉本昭一 裁判官 森真二 石田裕一)

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